2009年04月28日

死んだものが分からない

生きたものと死んだものが分からない人

 私以外の人で、生きたものと死んだものの区別が本当に分かっているのか、実は見えていないんじゃないかと思うことが時々あって怖くなることがあります。

精神病棟の患者さんで、毎日泣きながらご飯を食べていた人が、家族や看護婦に厳しい言葉で泣くことを注意されたり、大量に薬を投与されていた方がいました。彼女は日に日に死体みたいになっていっていて、(というか私には死体にしか見えないんですが。。。)体が動かなくなっていっていました。彼女はもう死んでしまっているようにしか私の目には見えないのに、何故看護婦や医者は平気なのだろうと怖くなります。医者や看護婦、患者の周りを取り巻く家族は人の恐怖心とか不安とか死んだ人間と生きた人間の見分けってつかないんでしょうか。

日に日に弱って死体みたいになっていく彼女を車椅子で運びながら
「おとなしくなりましたね。」
と笑顔で笑っていた看護婦さんを見て怖くなりました。


人だけではないです。物もそうです。

例えば買い物一つ取っても、自分がとある物を買って使うことでどんな生活を自分にもたらすかが見えていない人が多いのではないかと思う。どんなに安くても、欲しいと欲求が沸いても、自分が買う物に対して愛着心なしに買ってしまう人は怖いと思う。

1年したらそれを捨てないといけないと分かっていたら、自分の持ち物が今後どうなっていくのかを考えるだけでつらいと思う。明日それを捨てないといけないと分かっている物を何故今買うんだろう。捨てる時に辛いと思わないのだろうか、と。生きているものならなおさら。

自分にとって間違ったものを買って持ってしまうことで、自分の生活が死んでいるのに、何故またこの人は生活を死なせる物を買っているんだろうとか。死んだ物に囲まれているのに、何故それを捨てずにお金を欲しがっているんだろう。とか。ああ、きっとこういうのって一般的に執着心って言うのかも。私は言葉という物と心の状態の2つがまだうまくリンクしていないです。

こんなことで私は病院で戦おうと喧嘩売ったりして揉めそうになったりするんですが。

私には分かりません。

皆、生きているものと死んでいるものをどう見ているのか。

でも、分かっている人には分かっているんです。
死んだ存在とは、幽霊のことではなく、死んだものが分からない人間そのもののように見えることがあります。死体を運ぶ笑顔の看護婦さんは死んだ存在であり、患者さんは生きた存在なんでしょうか。

小さい頃からずっと疑問に思っていたこと。

何故人は虫を殺すんだろう。とか。

私にとって、病院という場所が、人を虫みたいに集めてをつぶしているだけにしか見えないのです。

病院って人間の基本的なものが全部破壊された場所みたいで辛いですよね。
なんでみんな「がんばって生きてください」とか言わないんだろうとか。

少なくとも、今の病院のあり方は、人から色々なものを奪う場所に見えます。医者や看護婦は人としての慈悲の心を「仕事」や制度や金銭欲に奪われて、患者は人として生きる力や権利を奪われるというのか。病院や医者は残すべきですが、今ある悪い何かはなくしたいですね。
医者そのものが悪いわけではなく、医者や医療関係者をそうさせている何かがあるわけで、それが慣習というものなのか、制度や体制というものなのか、何とか解消したいですね。
posted by 日美子 at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 心と精神 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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